RANI'S BLOG🇳🇵☕️

〜ネパールに滞在していた女子大生の日常〜

ヒンドゥー教の火葬場、パシュパティナートに行ってきました🇳🇵

ナマステ〜🙏🇳🇵

 

みなさんこんにちは!

ネパールに住んでみた女子大生の

らーに です!

 

最近、ネパールにきたきっかけとなる

近所の学校を訪れたのですが、

行ってそうそうリレーやら何やらを

一緒にして

子供のパワーに圧倒されました笑

 

無邪気に遊べるって素敵💙

長期休みが終わったので、わたしも

学校を訪れては

ちょっとした日本語の授業をしていますが、

みんな声が大きくて元気で

単純に楽しいそうで

とても嬉しい!

 

 

 

 

 

 

さて、さて、今日の記事は

先日、日本人のご夫婦とホームステイ先のお父さんと訪れた

 

ヒンドゥー教の火葬場と寺院がある 

  パシュパティナート

 

について書きます。

 

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火葬場がある場所が観光地?

 

 

 

はい。ここは観光地にもなっています。

お金を払い中に進むと

バグマティ川の横に

いくつもの

火葬場があり、

ヒンドゥー教徒のかたの火葬場です。

 

ここは世界遺産でもあり、

私は外国人として1000ルピー(約1000円)の入場料を払い

中を見学することができます。

(年々高くなる、維持費か〜なんだ〜)

 

初めてここを訪れたのは、2年前だったかな。

その時は火葬場は行なっていなかったため、

あまり印象に残ってませんが、

2回目訪れた時から、

火葬の前の儀式や、

親戚、家族の悲しむ姿、それを多くの一般人が

見守る姿を目にしてきました。

 

 

 

結論から言うと、

ぜひ、訪れてみてください。

 

 

 

 

そして、感じて欲しいんです。

生きることが本来どういうことなのか。

 

 

 

 

日本の火葬やセレモニーって常識は捨てたほうがいいかもしれません。

 

 

 

というのも、

火葬の儀式、行うのは亡くなった方の親族(主に息子)です。

体を清めるため、川の水で洗うのも、

ご遺体を移動させるのも、火葬するのも

全て家族自身で行います。

 

そして、溢れるばかりの知り合いの方が集まり、

じっとその光景を見つめ、

泣き出してしまう親族を支え合い、

 

 

(これは前回目にした光景から私が感じたことです)

 

 

 

ああ、あの方はこんなにも多くの人に愛されていたんだ。

私が死ぬ時、どれ程の人に愛されるんだろう。悲しむのだろう。

多ければいい、ということが言いたいのではなく。

 

誰かに必要とされ、誰かを必要とする。

 

そんな人生を送る

 

 

その形が現れるのが、

火葬されるこの時なんではないかな

 

 

 

そして、一緒に行った日本人の方は

年配のご夫婦で、

 

口を揃えて言っていたのが、

日本も昔はそうだったんだよ。

 

 

これは火葬の方法に限らず、

街並みだったり、隣人との関わりの深さや、人の温かさなど

 

旅を共にしていて、

この言葉を聞くたび、

全く違うじゃん!って私が思うのは

その時を見たことがないからで、今の日本が私の当たり前だから、

日本が発展した証拠なのかもしれない。

 

 

でも、

またどこか忘れちゃダメなことを

発展と同時に忘れてるのかもしれない

 

 

人が火葬されているところをみる

 

という感覚ではなく

 

 

 

その人が生きた集大成として

家族が全て儀式を行うこと

生きルもの全て死ぬ日が来ること

 

じゃあその日まで、

自分はどうありたいか

 

 

世の中には、私たちの常識じゃ

考えられないことがあって、

でもそれが

ある人からしたら常識で、

 

寛容になってみると

また、ちがうもの、新しい考えに

出会える

 

 

 

そんな気持ちで

このパシュパティナートを訪れ

 

感じて欲しい

 

 

宗教観以上に

 

もっと

 

 

大切なことに気がつくかもしれません。

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今日は、この辺で!

 

 

 

フェリべトゥンラ〜👋